熊走日吉神社の大杉

熊走町は石川県に流れる犀川の上流に位置する、人口30人以下の小さな町だ。その小さな町の中に熊走日吉神社はある。大杉そのものよりも熊が走るというその字面に惹かれ、巨木探訪3本目を「熊走日吉神社の大杉」に決めた。町に入れど人気は無く、周囲の森からは蝉のけたたましい鳴き声が聞こえてくる。車を止める場所を探すも、(山村特有の)狭い道幅と急な傾斜の中、そんな場所は見当たらなかった。なにより肝心の神社も見つけられない。目に入った空き地になんとか車を入れ、地図を確認しようとしていると、町の人と思わしきおばあちゃんが訝しそうにこちらを見ながら通り過ぎていった。急いで車を降り、追いかけて声をかける。

◇ ◇ ◇

「すみません!この辺りに神社があると思うのですが、どこか分かりますでしょうか?」
「神社?あんたのほら。うしろ。山の上に社が少しだけ見えるでしょう?」
「ああ・・・ほんとうですね。ありがとうございます!加えて質問なのですが、どこか車を止められそうな場所はここら辺にありますでしょうか?」
「あるけど道が狭いからその車じゃ通れないよ。そういうことなら、あんたが止めてるそこにそのまま車を止めていいよ」
「なるほど・・・そうなんですね。ありがとうございます。ここは神社の敷地内なのでしょうか?」
「いいや、ここはあたしんちの敷地内だよ」
「そうだったんですね・・・勝手に入って車を止めてしまい本当に申し訳ありません・・・」
「いいよいいよ。ここをまっすぐ行って道を右に曲がってしばらく行くと、右手に神社への道が見えると思うから。にしても、またなんでここの神社に?」
「ひじょうにお恥ずかしいのですが、趣味で石川の大きな御神木を見て回っているんです。ご覧の通り、ずいぶんと怪しいですよね(笑)」
「いやいや、道が狭いから気をつけていってらっしゃい」

◇ ◇ ◇

道を進んで行くとおばあちゃんに言われたとおり、たしかに車一台ギリギリ止められそうな場所があった。そしてその脇の道をまっすぐ行った先にこんもりとした小さな森が見えた。よおく目を凝らすと、境内へと続く階段を見つけることができた。
森の入り口(鳥居)をくぐると、肌に触れる空気がひんやりとしたものへと変わった。蝉は確かにそこら中で鳴いているはずなのに、どこか遠くで鳴いているような、そんな錯覚に陥る。いつもの如く境内に人はおらず、狛犬が2匹、御神木の大きな木陰の中で涼んでいた。そして、その昔お社の屋根の上でおつとめを果たしていたであろう鬼瓦が境内に安置され、その横には見たことのない木のような岩が祀られていた。お目当てであった御神木は、やはり連理木で3本の杉が根元で癒着し、御神木の体をとっていた。神社全体を覆い被すように御神木が影をおとしており、どこか護られているような、えも言われぬ安心感と心地よさがあった。お賽銭箱が無かったので、手水舎から湧いたであろう蚊達に少しだけ血を分けてやり、社に向かってお辞儀をして神社を後にした。

◇ ◇ ◇

車へと戻り、親切にしていただいたお礼を言おうと、辺りをキョロキョロと見回しながらおばあちゃんを探していると、僕の姿を見つけてくれたのか、家から出てきて声をかけてくれた。

「ありがとうございました!とても助かりました」
「いやいやいいよいいよ。どうだった?」
「すごく良かったです。うまく言えないのですが、心地よい時間を過ごすことができました」
「そうかい。それは良かった」
「私は生まれも育ちもここでね。そうだ。ちょうどあんたが車を止めてるそのあたりに昔は母屋が建っていてね。そこに住んでたんだよ」
「そうだったんですね。更地になっているということは、取り壊されてしまったんですか?」
「2年ほど前にここら一帯は豪雨の影響で水害にあってね。ほら、そこの用水みたいなやつ。それは川でね。そこが氾濫して、母屋がだめになったのよ」
「それはそれは立派な母屋でね。総檜造りで、釘の一本だって使ってなかった。昔はテレビの取材とかがよく来てね。番組なんかで紹介されてたよ」

おばあちゃんは僕の後ろに広がっている更地の方に目をやりながら、無くなった母屋を愛おしそうに眺めているようだった。それから、おばあちゃんの思い出話を聞かせてもらった。父が好きで植えた石楠花や、兄が植えた加賀山躑躅。既に父も兄も他界しており、おばあちゃんは夏の時分になると熊走町に帰ってきて少しの間過ごし、また夏が終わると野々市にあるお家に戻るそうだ。母屋があった場所には杭が打たれており、それは県が母屋の取り壊し(公費解体)を行った際に残していったもので、そこには「ここに家屋を建てることを禁止する」といった主旨の言葉が書かれていた。

◇ ◇ ◇

熊走日吉神社(正式名称は日吉神社)は、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀っている。大山咋神は山の地主神であり、農耕や治水を司る神とされている。水害から守ってくれる神を祀る杜のすぐ麓に、水害に遭い家を失った人がいる。おばあちゃんは大山咋神のことを知っていただろうか。いや、きっと知っていただろう。帰りの道中、そのことをぐるぐると考えながら車を走らせた。

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