道具面談 2019

ミニマリズムと上手く付き合う

過去に一度自分なりに「ミニマリズム / ミニマリスト」についてまとめたが、アレ以来、僕はこの考え方に取り憑かれている。物を極限まで減らしたいだとか、そういうわけではなく、ただ自分にとっての必要十分が知りたい、もっと自分のことを理解できないかと、ふとした拍子に想いを巡らせては我に返って仕事に戻り、キーボードを叩いている。

気になったが最後、徹底的に調べて自分なりに解釈ができないと気が済まない僕は、ミニマリズムに関する様々な本や記事を読み漁り、時にはその真逆とも言えるような思想についても調べながらここ1〜2ヶ月を過ごした。
以前のミニマリズムに関する記事でも書いた通り、人は様々な道具を活用することで成長・適応する生き物だ。ゆえに道具(物)をやたらめったら減らせば良いというわけではない。自分にとって必要構成要素は何なのかを見極める。それこそが2019年度を迎えるにあたっての大きな課題となった。

登山前日のパッキングのようにワクワクしている自分に、とても驚いたのを今でもはっきりと覚えている。(僕はニワシドリのように、物を集めて飾りつけるのが好きだったからだ)

自分の物を全て一箇所にあつめる

まず僕が取り組んだのは、家中に散らばった僕の所有物を一箇所に集めることだった。正しく把握するためにも、まずはこれらを一箇所に集める必要があったのだ。
集め終わった頃には、僕の作業部屋が物で溢れかえった。ある程度想像はしていたが、想像を遥かに超える物量だった。(見た目的にも重量的にも)

生きていくために必要な物。アイデンティティを保つために必要な物。昔は必要だったが今は必要のない物。何故だか心惹かれ手元に置いておきたい物。物にはその物が本来持つ機能とは別に、個人的な想いが必ず付随する。目の前に積まれた物達は、一度は僕の意思を介し、必要とされて我が家にやってきた物達だ。

目の前に集められた物達に対して「こんまりメソッド」のように感謝の気持ちを語りかけたりなどはしなかったが、手に取るたびにどういう経緯で我が家にやってきたのか、一つ一つはっきりと思い出された。僕は物に対して人一倍執着が強いので、何故あるのか分からないような物は一つとして無かった。

計ゴミ袋6つ分。2回に分けて、それらは処分された。大半を占めたのは衣服で、これらは昔は必要で、今となっては必要のない物達だった。

全能感と一体感

僕が登山において最も好きだと言えるのは、登山中の全能感だ。ただ、ここでいう全能感とは“自分が何でもできる”という感覚ではない。言うなれば“自分に何ができて何ができないのかが、はっきりと分かる”感覚。自身の“全”ての“能”力の有無を“感”じる時だ。このとき僕は、心と体がピシャリと一枚に重なるような……「ああ、今、生きてるぞ」という実感を得られる。

所有物をごっそりと処分した話の続きだが、この一連の儀式を経たあと、登山時の全能感に似た感覚を覚えた。もしかすると、知らず知らずのうちに、物と自分に対する小さなストレスが塵のように積もっていたのかもしれない。今しばらくは、この物達との面接を続けたいと思っている。

さいごに

限られた物、限られた環境、限られた能力、これらの材料が揃った時、人の発想や思考はよりシャープになる。何も登山だけではなく、仕事や私生活においても同様だと思う。(何かに取り組む前に条件の整理と手札の把握が必要)
僕の場合、自己要素の大半を占めるのが「仕事」「登山」「読書」なので、この3点に特化した環境を構築していくつもりだ。

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