/ 2018.10.13 /
3-6 /
ミニマリスト ムーブメント
“ミニマリスト”という言葉を、最近メディアでよく目にする。
極力ものを持たず、必要最低限の要素で生活を送る人のことを指す言葉で、自分自身とても共感する主義・思想なのだが、素直に受け入れられないモヤモヤを感じていた。
昨今うたわれている“ミニマリズム(最小主義)”が、マテアリズム(物質主義)の対局にあると、僕はどうしても思えなかったからだ。
内省の意も込めて、感じたことをまとめてみたいと思う。
ライフスタイルとしての「ミニマリズム」
大量生産・大量消費の時代を経て、適量生産・適量消費の時代へと歩みを進める中で、
地球規模で高級志向や環境志向が高まってきた。
“少しでも良いものを 少しでも長く使う”
“サスティナブルな社会を実現するため 環境を意識した製品を購入する”
今日日このようなことは、僕のような一般市民レベルでも当たり前に言われていることだ。
そんな中、ライフスタイルの一つとして“ミニマリズム”が台頭する。
この事自体は今までの時代背景を考えると、とても自然な流れのように思う。
ただ、いざ蓋を開けてみると、その実情はモノを減らすことに終始していたり、あるいはモノを減らすために別のモノを購入するといった、企業がモノを売るための謳い文句として“ミニマリスト” という言葉が活用されている等、少し歪んだ印象を受けるというのが本当のところだ。
「ミニマリストが選んだ究極の○○」
「本当に必要な、たった一つの○○」
といった具合に、ミニマリスト愛用のモノは今も増え続け、拡散され、売上を伸ばしている。
モノ(道具)の必要性について
エドワード・ホール著の『かくれた次元』にて、
人とモノの関係性について以下のように書かれている。
人は自分の体の延長物(extension)と私がよぶものを作り出したという事実によって、他の生物と区別される。人間はこの延長物を発展させることによって、様々な機能を改良したり特殊化したりすることができた。コンピューターは脳の一部分の延長であり、電話は声を延長し、車は肢を延長した。<中略>人間は進化を自分の体から、その延長物のほうへ移行させ、そうすることによって進化の過程を恐ろしく早めたのである。
この一文には、思わず「うんうん」と深くうなずいてしまった。
また、ビアトリス・コロミーナ著の『我々は 人間 なのか?』にも同様に以下の記述がある。
もっと正確に言えば、道具と人間は互いを生み出し合っている。思考と動作領域を補綴的に拡大する人工物によって、人間は人間らしくなる。<中略>補綴は身体の単なる拡張ではない。それは”人間”に必要な身体の構造なのである。
とりわけパソコンを商売のネタにしている僕は、パソコンという道具がなければ今の生活を維持することができない上に、社会との接点が絶たれてしまう。
また、特にパソコンを使わない人でも考えて見てほしい、スマートフォンの登場により、我々のワークスタイル、ライススタイルがどれほど変化した(させれた)かを。
モノとは能力(スキル)が形を成したものであり、
モノを用いることで人は、その能力を身に着けずとも使用することができる。
故に、モノはただの物ではない。
モノを捨てるという行為は、その能力を破棄するに等しいと、
多少大げさではあるが、僕はそう考えている。
ミニマリズム的登山「ウルトラライト」
僕は登山が好きだ。
その登山においてもミニマリズムに近しい思想が、近年、大きなコミュニティを形成している。
それは「ウルトラライト」という考え方である。
登山という行為は、ある種、ミニマリズムを地で行くような行為だ。
山に登るために必要なモノを自身の背中に担ぎ、必要に応じ使いこなしながら困難を突破したり、あるいは楽しんだりする。
当然多くの道具を持っていけば、その分だけ荷物の重さは増し、結果、足取りも重くなる。
「ウルトラライト」とは、モノを必要最低限に厳選し、かつ、その1つ1つのモノの重量さえもギリギリまで切り詰め、切り詰めた分は知恵と能力と気合で補い、登山を軽快に楽しもう、というものだ。
いかにミニマリズムと近いところにウルトラライトの思想があるかが、
これでお判りいただけたかと思う。
ただ、ここでポイントとなるのは、持っていく道具を、
闇雲に減らすわけではないということだ。
登山において道具を減らすということは、本人の登山能力が未熟であれば、
その分、死に近づくということになる。
今の自分と照らし合わせながら、必要なモノを見極める。
過保護でもなく、かといって、無防備でもない、自然と適切な距離感で山を楽しめるということが
「ウルトラライト」の魅力だと思っている。
マテアリズムの先にある「ミニマリズム」
モノを収集したその先に、ライフスタイルがあるわけではない。
おくりたいライフスタイルに合わせて、必要な能力があり、その結果必要なモノが見えてくる。
モノで自身の能力を補うか、あるいは自身がその能力を身につけるか、
そこに良し悪しや正解不正解は無い。
自室に帰り、部屋を見渡す。
そこに並んでいるモノたちは自分を映す鏡である。
モノを通して自分を省みるという行いは、まるで瞑想のようだ。
様々な方向に伸びた枝葉を剪定し、整える。
その所作がミニマリズムであり、結果立ち上がってくるシルエットこそ、
自分らしさに他ならないのかもしれない。
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