「ヤバい」と「ダサい」は裏切らない

ハーバード・ビジネス・レビューをペラペラとめくりながら、
書かれている内容に対してあまり興味が持てず、ふと物思いに耽る。

何を信じて行動すべきか。
あるいは信じるに値することは何なのか。

様々なところに出向き、様々な人から言葉を集めてはみたが、
人の言葉を借りたところで、自分の道具のように手に馴染むことはない。

結局のところ、自分の価値観や感性、経験の延長線上でしか
物事を評価することが出来なかった。

ここでようやく本投稿の意味不明なタイトルに話が繋がる。

日々アップデートされる自身の価値観や経験において良しとされるもの、
それを端的に言い表すと「ヤバい」になる。
そこには、すごい、イケてる、普通じゃない、突き抜けてる、等のニュアンスが含まれている。

また、逆に悪しとされるものは「ダサい」と言い表すことができる。
「ダサい」には、カッコ悪い、イケてない、粋じゃない、といったようなニュアンスが含まれているように思う。

社会や周囲を中心とした価値基準ではなく、あくまで自分の直感に限りなく近い価値基準。
とてもチープな言葉ではあるが、僕はこの「ヤバい」と「ダサい」こそが
自分にとってもっとも信頼できる言葉、しいては価値基準なのではないかと感じた。

「いいね!」よりも「ヤバさ」を追求し、決して「ダサい」ことはしない。

そう、決めた。

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