ピンポン玉

朝8時45分に起きる。10時から打ち合わせがあるからだ。11時半には打ち合わせを終わらせる。12時半には次の打ち合わせがあるからだ。昼ごはんはコンビニのおにぎりで済ませる。移動に45分かかるからだ。15時には打ち合わせを終わらせる。15時半から次の打ち合わせがあるからだ。16時半には打ち合わせを終わらせる。18時までには送らなければいけない資料があるからだ。ふと、窓辺に目をやる。草が萎れている。水をあげなければ。明日はゴミの日だった。ゴミをまとめなければ。冷蔵庫をあけると消費期限が切れそうな食材が目につく。今日の晩御飯に使わなければ。この食材なら、そうだな。晩御飯は何を作るべきか。そうこうしているうちに返すべき連絡がどんどん溜まっていく。赤いバッチが血痕に見える。炊飯器に米をいれてスイッチを押す。その間に返すべき連絡を返していく。連絡を返し終わる頃に米が炊ける。適当なレシピをみながらおかずを作る。そして、作りすぎる。性格的に残せないので、食べきる。食べ過ぎる。セネカの言葉が脳裏にチラつく。

何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分のものであるかを考えてみればよいのである。

『生の短さについて』セネカ著

自分の時間で生きることの難しさ。卓球台の上を行ったり来たりするピンポン玉のように、AからB、BからAを往復する日々。自分の意志で卓球台から落ちてみる。それはプレイヤーAあるいはプレイヤーBの得点となる。僕の人生のプレイヤーは僕自身ではなかったか。自分の時間を自ら他者に明け渡し、他者に対して呪詛のような言葉を唱える自分はとても醜い。そんなことを考えていたら腹がぐうと小さく鳴った。

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