ビデオ、鱈のフライ

「映画を観た」でもなく、「DVDを観た」でもなく、「ビデオを観た」という言葉がもつ響きが良い。暗い部屋で一人画面に映った映像を目で追っている様が脳裏に浮かび、グッとくる。

深夜3時になってお腹が空いてくる。多めに作った鱈のフライを食べようか迷ったが、ぐっと堪えて煙草一本で空腹をなんとかいなそうとする。が…やっぱり無理だった。レンチンした鱈のフライを三ツ矢サイダーで胃へと流し込む。至福だ。『ゆるキャン』を観ながらゆっくり食べるつもりだったが、オープニングが終わる前に食べ終わってしまった。よほどお腹が空いていたらしい。胃の欲求には正直でいよう。

また人はマツヨイグサといった外来種があることを非難するかもしれない。それはヨーロッパの土手を自由に放浪しているアメリカ大陸の荒地植物だから。けれどもわたしにとっては、野原で自由に生長しうるものすべてがひとつの現実を形づくっており、わたしは何の疑問も抱かずにこの現実を信じている。それはたしかな事実なのだ。すでに、この環境そのものが選択を行っている。この場所の物理化学的条件による自然な選択圧に、イデオロギーの圧力まで付け加える必要はないだろう。それは自然を尊重すると言いながら、突如としてイデオロギーに従わせることだ。

『動いている庭』 ジル・クレマン著

最近読んでいていいなと思った文章。コミュニティづくりにも同じことが言えるなと、一人頷いていた。具体的なhowtoよりも、こういう他分野のことのほうが参考になると感じるのは、自分が捻くれているからだろうか。

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