泥だらけのビーンブーツ

専門学校を卒業後入社したデザイン事務所で、初めて任された仕事はとある農家のロゴマーク制作だった。今ではとても考えられないが、当時の僕は毎朝早く起きては足繁く畑に通って取材を行い、ときどき作物の収穫や農作業を手伝ったりした。ロゴマークは一向に完成へと向かわなかったけれど、農家の人とは日に日に親しくなっていった。
取材のために農家の方の家へ行くと、大抵はそのまま二人で軽トラに乗り込み畑へと向かうのが恒例で、移動中の軽トラの中では色んな話を聞かせてもらった。若い頃、単身アメリカに飛び、現地の農園でアメリカ式の農業を学んだこと。現地の農園の人に感銘を受け、キリスト教に改宗したこと。今育てている作物と土地の歴史。晴耕雨読な生活の素晴らしさと、天候に収穫が左右されることへの大きな不安。熱心に話す農家の方の横顔を、尊敬と憧れの眼差しをもって助手席からいつも眺めていた。
農作業を終えて家へ帰ると、きまって目についたのが靴棚に並んでいる泥だらけのブーツだった。このブーツは何かと訊ねると、L.L.Beanのビーンブーツというのだと教えてくれた。このビーンブーツに一際思い入れがあるのか、農作業をするときは決まってビーンブーツを履いていた。靴棚に並んでいたのは今までに履き潰してきたビーンブーツ達だということだった。

その時から10年以上経った今でも、この思い出は色褪せることなく、時折思い返しては憧れと懐かしさがこみ上げてくる、自分にとって大切な思い出の一つだ。先日、その憧れに背中を押され、ついにビーンブーツを購入した。これは調べてわかったことだけど、L.L.Beanはビーンブーツの修理を発売当初から変わらずにずっと行っているらしい。どうして彼はビーンブーツを修理に出さず、履き潰しては新しいビーンブーツを買い足していたのだろうと疑問に思ったが、すぐにその理由に思い至った。壊れた靴を修理しリセットして履くのではなく、靴が壊れるほど仕事を頑張った証として、靴を壊れたままの状態で大切に残しておくことにきっと意味があるんだろうということに。
泥だらけでソールもすり減り穴が空いたビーンブーツ達が所狭しと並ぶ靴棚をじっと見つめる彼の目に、どこか愛おしさを感じた理由が今ようやく分かった気がする。

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