カイバ

カイバ』を観た。記憶はチップへの外部保存が可能であり、チップが消失しない限り半永久的に記憶が保持される世界。また、記憶の外部保存に伴い、肉体が滅んでも新しい肉体にチップを移すことで不死の存在となる。そして、記憶を外部保存する過程で記憶自体を編集することが可能で、必要な記憶と不要な記憶を選別でき、さらには改ざんまでも…。その結果、僕らが当たり前に享受している自己同一性が、限りなく希薄なものとなってしまった世界。僕は確かにこの瞬間僕であるが、僕が認識しているこの僕は本当に僕が知っている僕なのだろうか?この問いかけを突き詰めていくと、僕を僕たらしめているものが浮き彫りとなっていく。それは家族かもしれないし、名誉かもしれないし、もっというならばそれは不幸や苦しみのような、当人にとって今すぐにでも捨ててしまいたいものなのかもしれない。そんなことを「カイバ」を観ながらずっと考えていた。僕の中には僕が思い出すことのできない記憶がたくさん眠っている。そう思うだけで随分と愉快な気分になる。忘れたわけではない。能動的に自ら思い出すことができないだけで、それらは不意に顔を出す。いままで一度も訪れたことのない地を、その足で踏んだとき。裏庭で生え放題になっている雑草を、素手で引っこ抜いたとき。何度も通ったその道を、たまたまの道路工事で回り道せざるを得なくなったとき。バニラが命を落としたとき、たくさんの記憶が体中から花火のように飛び出していた。それはとても綺麗で光景で、少しだけ切なかった。

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