/ 2025.03.15 /
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二郎、銀四郎
念願のラーメン二郎にやっと足を運ぶことができた。整然と並ぶ長蛇の列。徹底的に練られた回転率を上げるための数々のルール。ラーメンと生卵、あわせて1000円ぴったりのお会計。丼の形状と線対称に積まれたヤサイ。象徴的な要素が盛り沢山だった。1時間ほど並び、5分ちょっとで完食し、店を後にした。何かを成し遂げたような、妙な自信が腹の底から湧き上がってきた。
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石川を発つ日、最後の荷詰めをしている最中にふと思いつき、MacにPS Remoteをインストールし、PCとPS5をペアリングしたうえでPS5のコントローラーをスーツケースに押し込んだ。旅先に行ってまでモンスターハンターワイルズをプレイしたかったのではない。リモートプレイでアクションゲームがどれくらい快適にプレイできるのか、試したくなったからだ。決してモンハンの配信クエがやりたかったわけではないし、鎧玉集めくらいならできるのではないか?などと淡い期待を抱いたわけではない。結論、本当に若干の遅延(体感0.05sec程度)はあれど、プレイには全くといっていいほど支障はなかったし、歴戦ゴアマガラ討伐も(遅延関係なく無惨に死ぬことはあれど)問題無くできた。僕がゲーム会社で働いていた頃、ストリーミングによるゲームは遅延がひどく、まともにプレイできたものではなかったが、今となっては当たり前に実現できており、かつ環境が整備されていることに驚きを隠せなかった。
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『熊嵐』を旅先で読み終えた。かの有名な三毛別羆事件を描いた作品。物語に耳を澄ませながら読み進め、不思議と感じる羆の気配に鼓動を早くしながらも、事件終決まで一気に読み進めた。本件のキーマンである銀四郎がとても好きで、勝手に三船敏郎の風貌で脳内レンダリングした。
この男は本物のクマ撃ちなのだ、と区長は思った。銀四郎が酒を飲み争いを好むのは猟期以外のことで、山中で羆を追う間は酒を口にすることもないのだろう。 <中略> 犬の毛皮をかぶって寝ている銀四郎が、平凡な一個の老いた男にみえた。酒を飲み残したかれは、山中で羆を追う折のかれになっている。それは、クマ撃ちとしてのかれの本来の姿なのだろう。
『熊嵐』(著 吉村昭 / 新潮文庫)
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何年か前、早朝にひと気のない低山を登っている際、山道の真ん中に鎮座していた切り株を熊と見間違えたことがあった。それは今となっては笑い話だが、あの瞬間、僕はたしかに死を意識した。耳は何の音も聞こえなくなり、視界はチカチカし、息は荒くなった。頭は一切動かさず、にじり足でゆっくりと後ろに後ずさった。その間恐らく10分もなかったと思うが、僕には随分と長い時間が経ったように思えた。人間が身一つで山に放り出されたときの心許なさ。そして、生き物としての圧倒的脆弱さ。全くをもって良い体験ではなかったが、人間社会ではなく自然界(強いては世界)における自分の立ち位置を実感する良い経験だった。これと似た描写が『熊嵐』にもあり、あのときの恐ろしさを久しぶりに追体験することとなった。