夏の鶯

ザトウムシは、なるほどその名の通り、盲目の座頭が杖をつき慎重に歩くような素振りで一足一足踏み先を確かめながらゆらゆらと歩いていた。道先に指先を置くと、その大きな脚二本を使って優しく指に触れ、違和感を覚えたのか行く先を指のない方へと変え、またゆらゆらと歩き始めた。蜘蛛に似ているがそれは蜘蛛ではなく、単眼の数も蜘蛛と違って2つだ。毒も持たず、ヒトには危害を加えない。恐らくぱっと見ただけでは忌み嫌われるであろうそれは、知れば知るほどに愛おしく、愛嬌がある。必ず自身に先立ってしまう万物への印象が、そのまま固定観念の基礎へと転ぶか、より深く知ろうとするための一歩へと繋がるかどうかは、本当に些細なきっかけを己が見つけ拾えるかどうかで、その後大きく分岐してしまうものだなと思う。

◇ ◇ ◇

「8月になったというのにね、最近時々鶯が庭で鳴くんですよ。それでね。調べたらどうもそういうこともあるみたいで。途中で雛が死んだり、卵が食べられたりして、繁殖に失敗しちゃった雄の個体がね。またツガイになるために、そうやってね。」

キャンプの席で聞いたこの言葉を何度も頭の中で反芻しながら、季語という言葉だけでは掬いきれない鶯のありように、強く胸を打たれた。それは確かに生きている。生きているのだ。

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