ボルヘス、オリンピックINN、TOKYO

宿の部屋に備え付けられた(部屋の狭さを誤魔化すための)鏡張りの棚には無個性なコーヒーカップが2個、伏せ置かれている。下の棚には湯沸かし器。肝心のコーヒーはどこにも見当たらない。道中コンビニに立ち寄って購入したアイスコーヒーをカップに注いで飲む。窓からは足の踏み場のない自室のように、地面を余すことなく使って建てられた中小様々なサイズのビルが雑然と立ち並んでいる。そこには、どこを切り取ってみても人の気配があり、暮らしの集積がある。過去にVRについてのカンファレンスに参加した際、VR空間では人の五感の内2つを騙すことができれば、錯覚を与えることができると言っていた。Bluetoothスピーカーから流れるいつものプレイリスト。就寝時につけている香水。着慣れた寝間着。聴覚・嗅覚・触覚。五感の内、3つも使って僕は僕を騙している。ここが窮屈なビジネスホテルの一室ではなく、見知ったいつもの自室であると。経年劣化しガタついた換気扇の音が、ユニットバスの方から聞こえてくる。アスファルトで埋め固められた東京は夜も熱冷めやらず、空調から出る風は異様に冷たく、窓を開けると室外機から放たれた熱気が室内へと逃げ込んできた。

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