/ 2021.10.06 /
3-6 /
シングルリピート
かれこれもう4日間くらい渋谷スクランブル交差点のライブカメラ映像を観ている。信号が赤になると人が行き交い、青になると車が行き交う。駆け足で渡る人。渡ったはいいけれど間違えたのか、また戻る人。渡らずに雑談する人。人を乗せるタクシー。眩しいくらいに光り輝く宣伝カー。現代における借景だなこれは、と一人関心しつつも、そこになんの生気も感じられないことに少し寂しくなる。ライブカメラ右上には現在の時刻が表示されており、その時刻は僕の時計と同じ時刻を示している。この刻々と変わる数字だけがこの映像を今現在のものだと説明する唯一の根拠であり、もっと言うならば、動画のタイトルに渋谷スクランブル交差点という文字があったからこそ、僕はこの光景を渋谷スクランブル交差点だと認識することができる。自分が現実だと感じているものたちの脆さ。ギリギリのバランスで成り立っている日常。信号が赤になり、人がまた行き交う。人の流れは絶えず、また、ここからは人の顔まではうかがい知ることができない。その動きから僕は人だと判断したが、その人のような者たちに触れて確かめることは叶わない。この光景を昨日も見た気がする。僕に昨日の光景と今の光景の違いを説明することはできない。始まりと終わりが繋がっているアニメーションGIFのように、途切れ目を知覚すること無く、延々と同じ光景が繰り返されている。そんな気がしてくる。赤と青の薬を渡されたら、僕は迷わず青の薬を飲み込む。