娯楽のUI

『ビッグ・リボウスキ』のリボウスキ

UIとは、利用者(ユーザー)と製品やサービスとの接点(インターフェイス)すべてのことを意味するそうだ。タイトルの「娯楽のUI」はNINTENDOのUI/UXチームがUI Crunchのカンファレンスの際にタイトルとして掲げたものだ。この「娯楽のUI」はゲームにおけるUIの設計思想や手法を語る上で用いられたが、僕はこの「娯楽のUI」という考え方を日々の生活に適応できるのではないかと考えている。つまり、ユーザーと製品・サービスの接点を、生活者と日常生活の接点に置換して考えてみるのだ。

このカンファレンスで語られた「娯楽のUI」のポイントは以下の3つ。

・UI脳と娯楽脳の二人三脚

UI脳のみだとアイデアが制限される。娯楽脳のみだとアイデアが溺れていく。

・短所を「娯楽脳」で長所へ

面倒なことやつまらない行為を発想の転換で娯楽にかえる。

・将棋3席 麻雀5席

娯楽品にふれている人のみが娯楽体験ができるのではない。
娯楽品を取り巻く全体が娯楽体験。

ゲーム制作に携わっていた身として、とてもうなずける内容だ。
今回はこの3つを先程の生活者と日常生活の接点という観点で考えてみたい。

UI脳と娯楽脳の二人三脚

UI脳とは目的や効率を軸に物事を考えるということで、娯楽脳とは面白さ(娯楽性)を軸に物事を考えることだと僕は解釈している。これを日常生活に置き換えると、僕の場合はこうだ。食について考えてみたときUI脳主体で考えると「極力手間暇をかけずに効率よく短時間で栄養を摂取したい」という思いから、いわゆる完全食のようなものを追い求めるだろう。この行動自体が楽しいと思えれば特に娯楽脳を意識しなくてもよいが、僕はこれだと味気ない。じゃあ、どう娯楽脳を使うか。例えば完全食が錠剤状のものだったとして、演出としてSF感を出したら面白いのではないかと考えた。2001年宇宙の旅の食事風景を思い浮かべてもらえれば、話は早いかもしれない。シルバートレイに無造作に錠剤を並べたらそれっぽいだろう。ペースト状の完全食も添えたら完璧である。…といった具合にUI脳と娯楽脳を上手く働かせることで日常生活を面白く過ごせそうだ。

短所を「娯楽脳」で長所へ

これは比較的想像しやすいのではないだろうか。例えばゲームでいうと小島監督の作品『デス・ストランディング』は、従来のオープンワールドゲームにおいてマップ間の移動は単調なものになりがちだったが、そこに世界観や主人公の目的からくる意味を、そして移動に様々なゲーム要素を付与することで、移動そのものをゲームの核となる要素へと昇華した。では、こちらも日常生活に置き換えてみよう。日常生活はゲームとは比にならないくらい、面倒なことやつまらない事で溢れている。娯楽という言葉を検索した際に、対極として示される言葉が「日常」なくらいだ。娯楽脳視点で眺めてみると「日常」は開拓の余地しかない遊び場だ。色々と試しているが、最近僕が試してみたことは普段買わないような少しお高めの良い食器用洗剤と良いスポンジを購入したこと。食器を洗う作業はとても面倒くさい作業で、できればやりたくない作業筆頭だったが、食器を洗うのが毎回少しだけ楽しみになった。次は生乾きにならない干し方や洗剤の研究なんかをしてみても面白そうだと考えている。

将棋3席 麻雀5席

こちらの本来の意図は、プレイヤー当人だけではなく、周囲の観客も巻き込んで一つの娯楽体験とするということだが、日常生活に落とし込むにあたって少しだけ解釈を歪めたいと思う。まず、前提として日常生活における家事作業は淡々と行うものが多い。だったら、その時間を自分以外の誰かと共有することで楽しみながら作業ができないかと考えた。突然だが、僕は毎日同じ白いTシャツを着ている。今までは洗いざらしのTシャツをそのまま着ていたが、1枚1枚ぴしっとアイロンがけをすると、着たときにとても気持ち良く過ごせるということに最近気がついた。ただ、アイロンがけの作業は枚数もあるせいで、意外と時間がかかってしまう。そこで、アイロンがけビデオ通話を行ってみたところ、これが意外と面白かった。僕はただ延々と白いTシャツのアイロンがけをしているだけだが、通話相手がアイロンがけしている服から相手の好みや大切にしている服を知ることができ、普段とは違う一面を楽しむことができた。面白みにかける日常作業でも、他者と共有することで意外な面白さを発見することができそうだ。

以上が「娯楽のUI」という考え方を、生活者と日常生活の接点に適応し、検討・実践してみた内容だ。

日々の生活に追われるようになると、あっという間に1日が「しなければならないこと」で埋め尽くされてしまう。「しなければならないこと」をタスクと呼び、そのタスクを消化することで精一杯となり、いつのまにか「したいこと」が日常から姿を消してしまう。「しなければならないこと」が無くならないのなら「しなければならないこと」を「したいこと」にできたら最高じゃん!?が僕の今の考え方の出発点だった。朝起きてから夜寝るまで、ずっと楽しみ笑っていたい。僕はいまでも面白さ優先主義なのである。




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