物が物になるとき

建築家の阿部勤氏がNHKの番組の中でこう語っていた。物と深く関わることで、その物との間に関係が結ばれ、やがてその物に対して愛着が湧くと。「物と深く関わる」という表現がとても好きで、何度も頭の中で繰り返してはウンウンと頷いていた。

手元に届いたばかりの物は、まだ余所余所しい赤の他人の同居人だ。性能を期待され呼ばれた物。見た目を期待され呼ばれた物。他の人から贈り物として遣わされた物。手元に届く経緯は色々ある。まずはその物を手に取るだろうか。様々な部分を触り、その質感を確かめる。次にこっそり匂いを嗅いでみたりするかもしれない。新しい物の匂いはやがて失われてしまうので届いたときにしか嗅ぐことができない香りだ。次はどうだろう。自分が望んだ用途でまずは試しに使ってみるだろうか。期待通りだったところ。思ったよりイマイチだったところ。色んな感想が浮かんでくるだろう。次は望んだ使い方ではない、あるいは本来の使い方ではない使い方をしてみよう。そうすることでその物が持つ違う一面や可能性が開けることがある。その物に対する不満は違う物と組み合わせたり、使いやすくなるよう手を加えることで解決できることもあるし、時には持ち主である自分自身が知恵や知識を持つことで解決できることもあるだろう。最後に、物は使えば使うほど持ち主の手入れを必要とする。手入れを行うことで、物は生気を取り戻す。使い込んだ結果、物が壊れたとしても持ち主が修理を行うことで、また使い続けることができる。もう、その頃には物はただの物ではなく、自分にとって欠かすことのできない道具になっていることだろう。

物と付き合っていくことで関係性は少しずつ変化し、最初の余所余所しい赤の他人から、頼れる相棒、大袈裟に言えば人生の伴侶へと姿を変えていく。物がもつ様々な一面に気づき、知ろうとすること。また、物とともに自分自身も経験を積むこと。「物と深く関わる」とは、そういうことなのかもしれないなと、目の前に置かれたLAMYのボールペンを手に取りながら、物思いに耽っている。

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