/ 2025.09.03 /
3-6 /
Homo Neotenicus <ホモ・ネオテニクス>
「幼形進化する人」を表す、Homo(人間)とNeoteny(ネオテニー)を掛け合わせてつくった造語。
以下メモ書き。
Neotenyの哲学的掘り下げ
ネオテニー(幼形進化)について、「幼さ」と「進化」に分解したうえで、哲学的に掘り下げる
「幼さ」とは
- 時間・発達の観点
- 生物学的・発達的に「成熟していない状態」=未熟な状態
- 子供が大人になる前の段階としての「未完成さ」
- 哲学的には「未完成」というよりも「可能性に満ちている状態」として定義される
- まだ決まっていない
- これからどうにもなれるという余白を持っている
- 認識論的な観点
- 知識や経験が足りないことで世界を単純に見たり、因果関係を素直に受け取ったりする状態
- カント的に言うと「理性の未成熟」=「自分で考える力をまだ発揮していない状態」
- 単なる欠如ではなく、「先入観にとらわれない視点」を持っている状態
- 倫理・存在論的な観点
- 「幼さ」を「弱さ」や「依存性」と捉えたとき、そこには「他者にゆだねること」が含まれる
- レヴィナス的に言うと「幼さ」は他者に対して開かれ、守られなければ生きられない存在のかたちと言える
- 「幼さ」は「自律以前の共同性」や「他者との関係に根ざした存在の仕方」と言える
- 美学的な観点
- 「無垢さ」「純粋さ」と結びつけられる
- 損得や権力で汚れていない、まっすぐな状態
- ニーチェ的に言うと「幼子のようになること」が創造性の条件でもある。無邪気さ、遊ぶ力、新しい価値を生み出す力を持つのが「幼さ」と言える
- 「無垢さ」「純粋さ」と結びつけられる
- まとめ
- 可能性の余白
- 素直さ・無垢さ
- 他者への依存性
- 創造の源泉
「進化」とは
- 生物学的・自然哲学の観点
- ダーウィン的な進化=自然選択による種の変化
- 哲学的に言えば「偶然と必然が絡み合って新しい秩序が生まれるプロセス」とも言える
- 「進化=目的論的じゃない生成」。つまり、最初からゴールが決まっているわけではなく、偶然の積み重ねが「意味のある形」に見えるということ
- 目的論との対比
- アリストテレス以来、西洋哲学は「すべてのものには目的がある」という考え方が強かったが、ダーウィン以降は「進化=目的なきプロセス」として語られるようになった
- 「人間の存在に目的はあるのか?」という大きな問いが生まれる
- 哲学的に「進化」は、目的を持たずに進む過程が、それでも“意味”として人間に認識されてしまう現象でもある
- 認識論的観点
- 「進化」は、単に生物の変化にとどまらず、「認識の枠組みの更新」として捉えることもできる
- 例えば科学史をみると、ニュートンからアインシュタインへ、古典力学から量子力学へ、といった枠組みの変化は「認識の進化」とも言える
- 「進化=世界の見方そのものが変わっていくということ」
- 文化・倫理的観点
- 文化や社会も「進化」と言われるが、これは直線的に“良くなる”というより「複雑化」「多様化」
- 「進化」は“進歩”ではない
- 哲学的には「進化」はあくまで「変化のプロセス」であって、「良くなった・悪くなった」は価値判断にすぎない
- 存在論的観点
- 根本的にいえば、「進化」は「存在が固定されていない」ということを示す概念
- あらゆる存在は時間とともにズレていき、別の姿を取る
- 「流動する存在」という、哲学の根っこに関わるテーマがある
- 根本的にいえば、「進化」は「存在が固定されていない」ということを示す概念
- まとめ
- 目的を持たない変化のプロセス
- 偶然と必然が織りなす秩序の生成
- 認識や文化の枠組みの変容
- 存在が流動的であることの証明