第三風景

誕生日が近くなってくると、決まって小さい頃住んでいたあたりへ足を運ぶ。何か目的があるわけではなく、生まれてからここまでの自分の人生を振り返っていると、居ても立ってもいられらくなるからだ。土曜日にまだ午前授業があった頃、母親からお昼代として渡された500円を握りしめ、足繁く通った平和センター。今はその名をALKOに変え、今日も営業を行っている。久しぶりに訪れると、建物の中は薄暗く人気もない。その殆どが空きテナントとなっていた。小学2年生の夏休み、母にねだったファーブル昆虫記は、ここに入っていたヨシミ書店で買ってもらった。マリオのイラストを写すための薄紙(トレーシングペーパー)を、よく増田文具店に買いに来た。店主のおじさんはいつも難しそうな顔でレジに座って新聞を読んでいた。父の日のプレゼントとしてボールペンを買い、贈答用に包んでもらったときだけ、嬉しそうに笑顔を浮かべていたのをはっきりと覚えている。その増田文具店も、影も形もなくなっていた。母の日にカーネーションを買った花屋も、じいちゃんと二人でかき氷を食べた喫茶店も、ともだちの両親がやっていた青果物店も、全てがまるで最初から無かったかのように、仮設の壁に仕切られるかたちで姿を消していた。向こうからカートを押しながら歩いてきたおばあちゃんが、訝しそうな表情を浮かべ、僕を見る。自分が余所者であり、部外者であることを突きつけられたような気持ちになった。

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昔住んでいた家があった場所へと車で向かう。小さい頃はあんなに広く感じた道も、車で走るとひどく狭く、車2台がすれ違うことも難しかった。一つ一つ、自分の記憶と答え合わせをするように、通りに建っている建物を眺める。ここには木曽君のお家があった。あそこには平内君のお家があった。あそこには白石君のお家があった。全部はっきりと覚えているのに、お家は全て更地や知らない誰かの新築のお家となり、もう、僕の記憶の中にしか、あのお家達は存在していない。細い道を徐行で走り、実家があった通りへと入っていく。毎日毎日、何度も何度も通ったこの場所は、あの頃とは随分と変わってしまった。戦後、一斉に建てられたであろう瓦屋根でトタン張りの小さな住宅達は、度々の地震や老朽化もあり、その殆どが取り壊され、新たに建てられた近代風の住宅が立ち並んでいた。僕が住んでいた実家も例に漏れず、瓦屋根のトタン張りの小さな住宅であり、既に取り壊されていた。もともと日当たりがあまり良くない、奥まった場所にあったせいか、今も新しい住宅が建つこと無く砂利が敷かれた空き地となっており、その砂利を掻き分けて雑草達が生い茂っていた。

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母に買ってもらったファーブル昆虫記に、フンコロガシの話がでてくる。畳に寝転がり、砂壁に足を擦りつけながら、フンコロガシもきっとこんなところを歩いているんだろうなと空想した。家の外には畳3枚分程度の庭のようなものがあり、家の人間は誰一人庭の手入れをマメにするようなタイプではなかったから、当時も雑草が生え放題。僕にとっては楽しい遊び場であり、土を掘り返し知らない虫を見つけては、ファーブル昆虫記の中にあった挿絵と見比べたりした。ある日、庭に綺麗な紫色の花が咲いた。その花をつけた草の葉は、真っ直ぐと上に向かって生えており、素足が触れるとチクチクとした。母に花の名前を聞くと、それが花菖蒲であることが分かった。当時の僕は花菖蒲の”しょうぶ”を勝負の”しょうぶ”だと思っており、向かいあって咲く花菖蒲の花の形をみて「たしかに腕を伸ばして戦ってるみたいだ!」と、自分のささやかな発見にひどく納得のいった表情を浮かべていた。

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当時のことを思い返しながら、実家があった空き地にしばらくしゃがみ込んでいた。小学生低学年だったあの頃の僕は、多分これくらいの目線で世界を見ていた。あの頃と比べて世界が一回り小さくなったのではなく、僕が一回り大きくなってしまったのだ。敷かれた砂利の隙間から生えるエノコログサやハルジオンの小さな群生の中に、それらとは違う、とても見覚えのある葉がちらりと見えた。近づいてよく見ると、それは花菖蒲の葉だった。当時と変わらず、真っ直ぐと上に向かって葉をつける花菖蒲。丸くしゃがんで眺める僕の目には、それがひときわ輝いて見えた。

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