ジェラルド・フィンジとイカフライ

コンビニで買ったイカフライを食べながらこの文章を書いている。久しぶりにハードオフに寄ってレコードを漁った。知らない盤がぎちぎちに箱に詰め込まれた、とても幸せな風景。2時間滞在したのち、8枚のレコードを買って帰った。今はそのうちの一枚であるジェラルド・フィンジのレコードを聴いている。いつものごとく完全なるジャケ買いだったけれど、これは当たりだった。どの曲も全体的に物悲しいトーンを纏っている感じがして、気になったのでジェラルド・フィンジについて調べた。

父親は成功した船舶仲介業者であったが、フィンジが7歳のときに亡くなっている。少年時代は個人教育を受けた。第一次世界大戦中に家族に連れられハロゲイトに転居し、フランク・ブリッジの親友アーネスト・ファーラーに音楽を学ぶが、ファーラーは徴兵され、西部戦線で戦死を遂げる。その訃報にフィンジは心の底から嘆き悲しんだ。この人間形成期に、フィンジは3人の兄弟を喪ったことにも心を痛めた。これらの逆境はフィンジの荒涼とした人生観を助長した――<中略>――1956年にヴォーン・ウィリアムズとグロスター近郊を周遊し水痘にかかるが、これは衰弱していたフィンジーの体調にさらなる負担となり、重症の脳の炎症を引き起こした。間もなくオックスフォードの病院でチェロ協奏曲の初演のラジオ放送を聴いた翌日死去した。

ウィキペディアより引用

wikiを読み、なんとなく自分の中で合点がいった。当たり前のことだが、バッハやモーツァルト、サティ、ドビュッシーなど有名な作曲家がいる一方、あまり知れ渡っていない作曲家たちも多数いるんだということに、ことクラシックというジャンルにおいては理解が及んでいなかった。(ごく限られた作曲家しか存在しないと思いこんでいた)ボリボリとイカフライを無心で食べていたら勢い余って舌を噛んでしまった。またこれが口内炎になるのだろうか…。やだな。

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