/ 2018.08.17 /
OUTDOOR /
星野道夫という名の星
僕が初めて星野道夫について知ったのは、
写真家としての星野道夫ではなく、作家としての星野道夫だった。
日常に疲弊し狭くなっていた視野が、星野道夫の著書を読むことで
静かに解きほぐされていったことを、今でも覚えている。
“自身より遥かに大きな存在を知覚し、自身の存在を正しく理解すること”
僕が彼から学んだことは、その一言に尽きる。
美しさの象徴としての自然ではなく、生きていく場所としての自然。
それは言葉で書いてしまうと、とても容易いが、
実感を伴って理解するためには、自身が行動する必要がある。
僕は星野道夫という存在に出会い、知っていく中で、
山に登るということに、のめり込んでいったように思う。
◇ ◇ ◇
僕が彼を知った頃には、既に彼はこの世を去っており、故人となっていた。
そのことは僕にとって、とても大きな意味を持つ。
北に輝き続ける北極星のように、
彼の存在は一つの方角を常に僕へと指し示してくれる。
その方角が正しいかどうかは分からない。
だが、彼という存在がそこにあり続けることで、
自分が今どの方角を向いているのか、
しいては今、自分がどこにいるのかを知ることができる。
自分にとっての星をたくさん持つこと。
そしてその名と意味を正しく知ること。
“どこに向かうべきか” ではなく “どこにいるのか” を正しく知ることが、
こと生きて行くということにおいてとても大切なのではないかと、
ここ最近感じはじめている。
お盆の休みを利用し、静岡県のIZU PHOTO MUSEUMで行われている
『星野道夫の旅』を観に行くことができた。
僕自身、写真の善し悪しを語るだけの知識や技術を持ち合わせてはいないが、
一言、「とても良かった」と声を大にして言いたい。
それは星野道夫がその目にうつした世界の袖を、
少しだけ、ほんの少しだけ、掴めた気がしたからだ。
写真1枚1枚の前で立ち止まり、ぼんやりと眺めていると、
そこに、ひとつのいのちの流れのようなものを強く感じることができた。
それはときにか細く、ときに濁流のように波打ち、
途方もなく長い流れを紡いでいる。
アラスカの原始的な自然には、そのことをはっきりと感じさせる力があるのだと、
彼が撮った写真を通して理解した。
今でも彼の著書は、僕の手が届くすぐ傍にある。
きっと、それはこれからも変わらないだろう。
彼が愛したアラスカが、
これからもそこに変わらず在り続けてほしいと
心から、そう願っている。