高野山・揚原山・蟹淵 縦走

朝5時に目が覚めて、のそのそとベッドを出て洗面台に向かう。眠気を払うために水で顔を洗い、そのまま洗面台に頭を突っ込んで髪を水で流す。タオルで頭を拭いてから適当に櫛で髪を撫でつけておく。昨晩行ったパッキングに抜けがないか頭で考えながら、畳んでおいた行動着に袖を通す。型崩れを防ぐためにザックに詰めた山と道のU.L.padのせいで、日帰り登山とは思えないくらいザックが嵩張っている。外は曇天。雨よ降れと祈りながら家を出た。

途中コンビニに立ち寄り、行動食と朝ご飯を買う。おにぎり2個。具は梅とシーチキンマヨ。小さいサイズのSNICKERS2個。グミ1袋。マスカットフレーバーのいろはす1本。以上。日曜日の朝5時過ぎは町全体がまだ眠っているようだった。空は朝というには薄暗く、すれ違う車は数少なかった。今の気分にピッタリの曲がかかるまで、延々とspotifyをスキップする。rei brownのSolarがかかったタイミングでスキップをやめる。今日登る山の麓の駐車場まで40分程度。石川県は低山も豊富にあり、かつ車でさっと行ける距離にあるというのがとてもよい。煙草の煙が少しだけ開けた運転席の窓に吸い込まれ、外へと逃げていく。

駐車場と思わしき場所に先客はおらず、駐車区画の一番隅にひっそりと車を停めた。車のドアを開けて外に出ると、けたたましいほどの鳥の鳴き声が耳に飛び込んでくる。そうだったと思い出す。早朝はとにかく鳥が元気なのだ。後部座席のドアを開け、シートベルトで留めてあったザックを車外へと引きずり下ろし、勢いをつけて背負う。ザック下部に括りつけた熊鈴が目覚まし時計のように鳴り響く。行動開始だ。

今日のルートは高野山・揚原山を尾根伝いに縦走しつつ、蟹淵に立ち寄って下山するルートだ。登山計画から山行中含めYAMAPにはお世話になりっぱなしだ。課金します。登山道入口には「クマ出没 キケン!」の立て看板。熊が出ない山なんて石川にはないよな…と思いつつ、どうか出会いませんようにと小さくお辞儀をして入山。山行中は細かく自分の心拍数を確認しつつ、140を越えないくらいを維持しながら一定のスピードで歩く。今朝方少しだけ大雨が降った影響で沢の水量が増している。水の流れる音、木々の葉が擦れる音、鳥の鳴き声、聞き耳を立て、歩く僕。

「孤独とは傷口に塗る軟膏だ。それは共鳴箱にもなる。つまり、一人でいるときにある印象を受けた場合、その印象は十倍になるのだ。孤独は責任感を持たせてくれる。それは、人間がいない森のなかにいる僕は人類の大使だ、という責任感である。ここにいない人々のためにぼくがこの光景を満喫しなければならない、ということだ。孤独は思考を生み出してくれる。というのも、ここでは自分自身としか会話することができないから。孤独はあらゆるお喋りを洗い流してくれ、自分自身を探索することを可能にしてくれる。」

テッソンは『シベリアの森のなかで』にこう書いていた。そのことを思い出しながら、目に映る景色一つ一つを濾し取り、記憶に刻んでいく。人の気配は全く無いが、枝打ちされ真っすぐと伸びた杉の木に、人の軌跡を感じ取る。歩き始めて30分。じんわりと汗ばみ始め、被ったキャップの端から汗が滴り落ちる。メリノウールのベースレイヤーのおかげで汗冷えは全くない。雨を待っている。

道中、分岐路を左に曲がり高野山山頂を目指す。足取り軽く、息もまだ上がっていない。順調なペースだ。ショルダーハーネスに固定したボトルホルダーから時折いろはすを取り出してはちびちびと飲む。すぐ飲める位置に飲み物があるだけで、こんなにも気分が良くなるなんて。腰回りには最近新調したMatadorのウェストバッグを装備している。入れ口がロールトップなので内容量の調節がしやすいのが最高だ。グミをつまみながら山頂へ。三角点が視界に入ったところでウエストバッグから煙草を取り出し一服。空気が美味いところで吸う煙草は美味い。灰皿は今朝方飲んだ伊藤園のミントショットの空き缶。キャップ付きのボトル缶は定番の灰皿だ。息スッキリに息ガッカリを重ねていくのも悪くない。良い気分だ。

高野山から揚原山に向かうためには分岐点まで来た道を戻る必要がある。同じ道を再度通るのは面白くないこと、ではあるが僕の場合は方向音痴なので帰り道は違う道のように感じる。とても新鮮な景色。道中、銀龍草を見つける。山で見かける植物のなかでもイチニを争うほどに好きな植物だ。ユウレイタケという別名がつくことからも分かるように、白く薄いベールを幾重にも重ねたような、幽玄な出で立ちをしている。また、銀龍草は菌類と共生関係にあるというのも好きなポイントで、その特徴的な風貌は菌類の影響もあったりするんだろうか、などと考えたりする。

揚原山山頂に着く頃には、空はすっかりと晴れ渡っていた。山と道のALL Wether Coatのテストをしたかったんだけどなあと、一人ごちる。今回もザックのフロントポケットに突っ込んだまま下山することになるだろう。揚原山から蟹淵までは実質ほぼ下りとなる。高野山あたりの山路は樹林帯だったが、揚原山から蟹淵に向かうに連れ、沢沿いを歩く頻度が増えてきた。苔むした岩はとにかく滑る。ビブラムのメガグリップなら滑らないんだろうか。SALOMONのX ULTRA 4 WIDE GORE-TEXを履いているが、ローカットなので履き口から流れ込む沢の水には無力だった。ドボンした僕の足運びが悪いのだが。両腕で岩をしっかりと掴みながら沢を下っていく。今回のルートはバリエーションに富んでいて楽しい。

蟹淵が視界の隅に入った。なんと幽玄な淵だろうか。深淵に口をつけると表現したのは誰だったか。何か人知を超えた神に近いものがもしいるとしたら、こういうところなんだろうなと思う。蟹淵というその名の通り、ここには化け蟹の伝説が残っている。淵に対して迫り出すように生えた木々にはモリアオガエルの卵がぶら下がっており、今この瞬間もモリアオガエルが元気よく鳴いている。淵の辺にザックを下ろし、しばらく淵を眺めながら憩いの時間を過ごした。

30分ほど経っただろうか。ただのひたすらに淵一点を眺めて過ごしていた。こんな時間の使い方は下界ではそうそうない。ザックを担ぎ上げ、下山を開始する。蟹淵を過ぎると沢の雰囲気が荒々しくなってきた。あとになってわかったが、大雨で崖が崩れて立ち入り禁止になっていたらしい。山の斜面が大きく崩れて沢付近に通っていたはずの登山道が無くなっていた。来た道を戻って下山するにはあまりにルートを巻き戻す必要があったため、覚悟を決めて慎重にルートを確保しながら、沢(だったところ)を下っていく。緊張から必要以上に心拍が上がり、息が切れる。けれど集中を切らしてはいけない。本当であれば25分のルートだったが、下り切って林道に出るまで1時間かかった。何事もなく、無事に下山できた今だからこそこういうことが書けるが、命の危険を感じるような局面に出くわしたとき、一番生の手応えを感じるなと思う。名だたる登山家たちの多くが、山行を終えて社会での生活に戻ったとき、極度の無気力に襲われて生きている実感を感じられなくなってしまうのも、こういう命の駆け引きを行っているが故なんだろう。

帰りの車中で、今日の山行を振り返る。あれは不要だった。これは良かった。ペースはどうか。次はあれを試そう。そんなことが次々に頭を巡る。腕につけたアップルウォッチが震え、通知が表示される。

「お目覚めのようですね」

「はい」をタップし、車のアクセルを踏んだ。

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