/ 2018.09.08 /
GRAPHIC /
表現の源流を求めて
当たり前のことだけれど、
僕らは2つある目の網膜を通して、この世界を視覚している。
その上で、記憶における視覚が占める割合というのはだいたい8割程度と言われており、
残りの2割は他の感覚器官…聴覚や触覚、嗅覚、味覚が担っている。
ここからは僕の考え。
全ての感覚は並列に接続されており、双方向に影響を与えあっていると思っている。
故に、記憶における視覚が占める8割というのも、
厳密には嗅覚や聴覚からのフィードバックがあった上での8割ではないかと、
そう考えている。
ここで取り扱いたいのは「共感覚」という特殊な知覚現象のことではなく、
誰しもが当たり前に持っている「感受性」に由来する何かだ。
様々な感覚を通し濾された体験を脳は記憶する。
僕はその記憶を現像したいと思っている。
最近意識しているアーティスト
最近制作をする上で、とても意識しているアーティストをリストアップしてみた。
おおよそのアーティストが写真を表現手段として取り入れており、僕自身も例外ではない。
まだ自分自身が納得のいく結論はでていないが、
「Glitch」「Surrealism」「Abstract」といった単語が鍵になる気がしている。
Gerhard Richter / ゲルハルト・リヒター
David Schnell / デイビット・シュネル
Jeff Jacobson / ジェフ・ジェーコブソン
http://www.jeffjacobsonphotography.com/
Jeff Jacobson on Beauty, Ambiguity and Mortality | PDN Online
小林健太
横田大輔
Daisuke Yokota: Color Photographs – an Exhibition at Harper’s Books
近いうちに読んでみるもの
記憶メディアとしての写真 – 角田 隆一
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/33/tsunoda2009.pdf