ローファイグラフィック愛は単なる懐古主義なのか

左が3Dスキャンしたもの、右が実物

iOSアプリのMetascanを落とし色々と3Dスキャンして遊んでみた。LIDERを用いてスキャンする場合は、MetascanよりもScaniverseが使いやすく、かつ細かく調節できる印象。写真を用いてスキャンする場合は今まで愛用していたTrnioよりもMetescanのほうが合成精度が高い印象を受けた。
普段プライベートで遊ぶ分にはPolycamのUIや精度のユルさが好み。初代PSのグラフィックのようなレタッチした写真をテクスチャに用いたのぺっとした3Dモデルが今の自分の気分にとてもあっている。

溶けたコーヒーカップ

初代PSグラフィックで思い出したが、最近youtubeでガッチマンの実況動画をよく観ている。お気に入りは「no players online」と「散歩 -WalK」の実況動画。特に「散歩 -WalK-」はPSのバイオと夕闇通り探検隊を足して2で割ったような雰囲気でとても好み。怖さの演出は、何もフォトリアルなグラフィックだけが最適解ではなく、想像力を働かせる余地のある荒いグラフィックと理解できない不気味さがあれば十分肩を並べて戦うことができると感じさせられる。(むしろこっちのほうが想像力を働かせている分あとを引く怖さがあるかもしれない)

散歩 -WalK-

なぜ今、こういうグラフィックに自分は惹かれるのだろうかと考えてみる。フォトリアルな表現に興ざめしてしまったというのももちろんあるだろうし、そのフォトリアルなグラフィックに(どれも実世界の法則に忠実であるがゆえに)絵画におけるマチエールみたいなものを自分は感じることができないからなのかもしれない。思い返せばここ数年に渡って、フォトリアルであるかどうかがゲームの面白さの評価要素として自分の中で大きく幅を利かせていた経緯があり、その反動もあるのだろう。


ここにきてゲームを作りたいなと強く思うようになった。

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