便利という名の呪い。

便利であるということは、時として、
静かにゆっくりと、そして確実に効き
やがて死にいたる呪いのような側面を持っている。

利便性と経済は密接に結びつき、
“この世界をより良くするため”という名の下、
日々さまざまな商品・サービスをこの世に投下し続けている。

人間はつい最近まで、自身が食べていくだけの作物を育てる知恵と力を持っていた。

人間はつい最近まで、自身が住むための住居を建てる知恵と力を持っていた。

いつのまにか僕たちは、利便性を追い求めるあまり、
本来自身が持っていた知恵や力を市場や社会に預け、
それを買い戻すといったことを強いられるようになってしまった。

僕は、産業革命直後、高度経済成長期直後に起きた大きな揺り返しが、
かたちを変え、いま再び訪れているような気がしてならない。

利便性はあくまで、豊かさ(QoL)につながる一要素であって、
それ自体が豊かさではない。

デザイナーとは市場経済の執行人であり立役者である。

Good Design = High Quality = Quality of Life

を信じる反面、本当にそうなの?という疑念が消えない自分が確かに存在している。

必要最低限の道具で山に登ったり、キャンプをしたりするのは、
自身のデザイナーという経済活動に対する反作用なのかもしれない、と今では思う。

豊かさとは、生まれてから墓場にたどり着くまでに辿った道のりの長さだ。

いま味わっている自身の揺り返しや、
途方にくれ右往左往した日々すべてをウィットに変え、
明日へと一歩踏み出す。
その繰り返しの先に待っているまだ見ぬ景色を、僕は心待ちにしている。