深呼吸の必要

夜、寝入る前、今日一日の自分の立ち振る舞いについて考える。

その時々の心のありようによって考えるポイントは違うが、いつも決まって行き着くのは「もうすこしうまくやれたんじゃないか」という自分に対する落胆だ。いつ頃からか、自分の行動や言動を後ろから厳しく監視する自分が、自分の中に同居するようになった。同居というのはもしかするとうまく言い当てられていないかもしれない。僕は自分で発言・行動しながらも、どこかその自分を一歩引いたところから眺めている自分になる感覚に陥ることが増えた、というのが適切だろうか。ゲームで言うところのFPS視点からTPS視点に切り替わるような感じに近いかもしれない。

感情を抑制することには随分と長けたが、感情を発露させることは随分と下手くそになったように思う。「しようがない」の一言で片付けてしまうことも随分と増えた。本当は「しようがない」なんて1ミリも思っていないのに。喜怒哀楽のうち、喜と楽の感情表現には自信がある。なぜなら喜と楽を顕にすることは自身と他者との関係性においてとても都合が良いからだ。怒と哀の感情表現には自信がない。なぜなら怒と哀を顕にすることは自身と他者との関係性においてとても都合が悪いからだ。

長田弘は詩集『深呼吸の必要』のなかで、これに近いことを言っていたなと思い出す。それは子供だった自分が、いつのまにか大人になってしまったことへの寂しさと、その過程で無くしたものが、もう取り返しがつかないものだということの虚しさを、限られた言葉で、かつ鋭い表現で静かに語っていた。

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