ゆれる

Netflixで『ゆれる』の配信がいつのまにか始まっていた。随分前に劇場に観にいき、DVDも購入するほど好きな映画だ。そういえばどこにしまったっけと思い久しぶりにDVDを漁ったら、あるはずのところに無かったのできっと誰かに貸したまま行方知れずになったのだろう。Netflixで観ればいいものを、性懲りも無くまたポチってしまった。好きな映画の中にも、観るだけで満足できる作品と、観たうえで手元にずっと置いておきたい作品の2つがあって、『ゆれる』は僕にとって後者の映画だ。

いちいち心を刺しにくるカメラアングル。間の取り方。役者の演技。
自由を象徴するアメリカの名を冠したアメリカンスピリットを吸い、東京でカメラマンとして奔放に生きる弟の猛。長男の役目を求められ、家業の萎びたガソリンスタンドでペコペコと客に頭を下げながら田舎に縛られて生きる兄の稔。

映画の後半、猛が映写機を回しながら、忘れかけていた幼い頃の家族との思い出を回想しているところで毎回泣いてしまう。劇中を通して、兄弟が何を想い最後にどうなったのか、観ている人に対して何の説明もなされない。兄弟の繊細な心の揺れを通して、否が応でも自分自身の内面と向き合うことになる。そういう作品だ。