箱男とイマージュ

われわれを取り囲むイマージュは、われわれの身体の関心を引く面を、ただし今度は光に照らされた姿で、このわれわれの身体の方に向けているように見えるはずだ。それらのイマージュは、自らの実質のうち、通過していく際にわれわれが引きとめたもの、われわれが影響を与えうるものだけを浮かび上がらせることになるだろう。

『物質と記憶』 アンリ・ベルクソン著 より引用

自ら進んで箱を被り、箱の中から世界をのぞき見る。箱は時速50kmで移動を続け、移動に伴い映る像も多種多様に変化する。僕は箱の中で箱型撮影機を構えて小さな箱越しに箱男達をのぞき見る。こちらからは表情をうかがい知ることはできないが、その所作から年甲斐も無く興奮していることが伝わってくる。

目的地はあるようでなかった。道具と食料はたんまりある。箱男達は非決定性の中心で胡座をかきながら、日常の中で当たり前のように通り過ぎていく決め事のいっさいがっさいをテーブルに並べ、ひとつひとつ手にとっては愛おしそうに眺め、静かに語り合っていた。

流れる時間、目に映る光景、そのすべてが心地よく、僕はいつのまにか眠っていた。

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