心が色々なところに行ったり来たりしていると、それに伴って手を動かす時間も長くなる。手を動かす時間が長いと、色々なところにまた心が出かけていく。

小さかった頃の自分。学生時代の自分。社会に出てからの自分。昨日の自分。全ては自分という認知を1本通すことで一纏めにし、自分という一人の存在を維持している。僕は未来を除いた過去の自分を思い出すことができる。けれど、不意に思い出している自分とは別に、過去のその時々の自分達が未だにその時間の中で生きているような気がすることがある。6歳の僕は今も6歳のまま6歳の時間を生きているし、15歳の僕も15歳のまま今も15歳の時間を生きている。今の僕は認知することができないけれど、きっと未来の僕も未来の時間を今も生きている。本の5ページは6ページの内容を知ることができず、6ページもまた同じように5ページの内容を知ることはできない。唯一読み手だけが、本に収められた全ページの内容を通して知り、紡ぐことができる。僕は読み手でありながらも、本に書かれた登場人物の一人でもある。

この感覚をなんと言えばいいのだろうか。

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