足りなさについての考察

朝起きて時計を見る。今は朝の10時で、今日は祝日だ。しかし、何かが足りなかった。顔を洗い、買い物に出かける。昨晩用意した買い物メモはしっかりとコートのポケットに入っている。買い物メモ通りに買い物を行い、店を出る。しかし、何かが足りなかった。先程まで降っていた雨も今は止み、車のフロントガラスには光の粒が、今にも零れ落ちそうになりながらしがみついている。エンジンをかける。その振動でフロントガラスの雨粒が一斉に流れ落ちる。綺麗だなと思う。しかし、何かが足りなかった。足りないものが何なのか考えてみるも、あともうひとつ何かが足りず、答えには及ばなかった。喪失からくる足りなさなのか、不満足からくる足りなさなのか、それすらも分からない。けれど、この足りなさすらもやがて喪失することを僕は知っている。何が足りていないのかも分からないまま、足りていないと感じるこの感覚ごとすっかりと忘れ、また平常へと戻っていく。そして、何ヶ月後。何年後。何十年後。不意に分かるときがくる。それが不可逆な時間の流れに置いてはもう二度と触れることも取り戻すこともできない何かであるということを。

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