Free/Freak

“Free”と“Freak”は腹違いの異母兄弟だ。
Freakの語源語はラテン語の“frictus”(擦れる・刺激される)からきており、“畸形”や“異形”といった意味を持ち、「変人」「異常者」といったネガティブな意味を含みつつも、現代においては特定の物事に対して異常なほど熱中する「熱狂的な愛好家」や「マニア」を指す言葉として用いられている。かたや“Free”は言うまでもなく“自由”を意味し、様々な枠組みや風習、時間・場所に縛られることのないポジティブな理想語として社会に回収され、広く喧伝されている。

ここから僕は次のようなニュアンスを汲み取る。“Freak”は枠外への〈追放〉であり、“Free”は枠内への〈釈放〉ではないかと。“Freak”と“Free”、どちらも〈解放〉と似た側面を持ちつつ、どちらも〈解放〉とは対極的な場所に位置するように感じる。

“Freak”側に立ったとき、そこにあるのはアプリオリな心身的畸形であり、これは自身が選択したものではなく、かつ変更不能なものである。異端な者は、異端では無い者で構成される社会(世界)において〈解放〉されることは難しい。つぎに“Free”側に立ったとき、そこにあるのはアポステリオリな心身的定形であり、自身が選択し、かつ変更可能だという意識を持ちながらも、その実全く逆な環境に心身が拘束されているという倒錯構造を抱えている。異端では無い者で構成される社会(世界)において、自由意志を持って異端となることを選ぶのは難しく、枠や型から〈解放〉され、真に“自由”の身となることは難しい。

この両者から見える世界は、同じ父を持つが故に歪み、両者が互いを見る視線は、違う母を持つが故に分かり合えない。“Freak”と“Free”は「解放の主体」ではなく、「解放を脅かす存在」として同列化される。この両者が抱えるアナロジーとアイロニー。それを包むことができるのは母性か父性か。あるいはその両方か。

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