UPDATED *2026.02.05*
/ 2026.02.02 /
3-6 /
260202 ⇢ 260208
§260202
- 共感性プロトコルを通してping叩くのはやめたほうがいい
- 人間の脆弱性
- メタルペヤングケースが届いた
§260203
庭とは風景と環境を含んでいる。風景とはわたしたちの周囲の、わたしたちが知覚するものの文化的な部分であり、環境とは、少しばかり客観的で科学的な部分である。庭とはまさに、人間の自然との関係の現実である
『動いている庭から惑星としての庭へ』アラン・ロジェ
- 「風景」:「環境」/「文化」:「生態(自然)」/「主観」:「客観」
- 「環境」について“少しばかり客観的で科学的な部分”と言及されているが、これは「生態」といえないか
- “文化的(美的)な実在”と“生態的な実在”
この庭師が重視しているのは両者を区別することではなく、それらがどう関わっているかなのである。彼にとって風景と環境はともに庭を構成する重要な要素であり、その庭とは「人間の自然との関係の現実」なのだ。
「動いている庭」から「野原」へ - 山内朋樹
プランにしたがって秩序立ててきた(Clément, 2007(1991), p.20)。こぼれ種や地下茎などで境界の外に進出してしまう植物群は、雑草であれ園芸品種であれ、手入れのなかでは処理すべきものでしかないだろう。「それゆえ、この秩序を維持する技術の数々、つまり剪定,苅込,枝打ち,除草,支柱,誘引等々がある」(Clément, 2007(1991), p.20)。クレマンはこうして維持される秩序を 「静的秩序」 と呼んでいる。言い換えるなら,そこでの植物は人間の意図や行為を代行している(ここから先は立ち入り禁止,ここで左に曲がる,ここではあちらに視線を投げかけるなど)。しかしひとたびこの代行された意図を植物から振り払うならば,植物,ひいては庭の管理方法はまったく異なるものに変貌し,植物とその環境がつくりだす生態学的な秩序,すなわち 「動的秩序」 が露わになってくる。
「動いている庭」から「野原」へ - 山内朋樹
- 〈動いている場〉において・・・
- 静的秩序:
- 場のルール
- 場に備え付けられた機能(道具やBOT)
- 動的秩序:
- 利用者間で醸成される暗黙的なルール
- 利用者の属性と属性単位における母数によって生まれる均衡
- 静的秩序:
「どういった種類の「庭仕事」に着手するかを決めるために,諸存在 の相互作用を解釈すること」であり,それは「庭師を観察者以上,作業者以下に」するという (Clément and Jones, 2006, pp.18-19)
「動いている庭」から「野原」へ - 山内朋樹
- 〈動いている場〉においても同じ事が言えると感じる
しかしながら,ここには年に一度だけ人の手が入る。毎年 11 月におこなわれる草刈りがそれだ。 「動いている庭」から「谷の庭」を経て,放棄地に近い「野原」まで辿ってきたとき,最後に残 される人間の行為,あるいは庭師の作業とは,草刈りなのである。
「動いている庭」から「野原」へ - 山内朋樹
- 究極だ・・・
§260204
- バーチャルサードプレイスにおける「コミュニケーション資源」と「背景資源」:沈黙と存在同期の設計論についてひたすら書いた。ギリ書き上げたといってもよいと思う。
- 接合部が割れて折れてしまったシャワーヘッドをタイル用ボンドで修理した
- 24時間寝かせた上で再度装着し水を通してみたところ1発で破裂した
- 水周りの修理は難易度が高い・・・
- 結局あたらしいシャワーヘッドをプンプンしながらポチった
- サロニアのいいやつ
- 24時間寝かせた上で再度装着し水を通してみたところ1発で破裂した
§260205
- 〈背景資源〉について割り当てる絵文字は「☕」でいいんだろうか
- 「☕もくもく」と被っているのは意味的に正しいが、〈背景資源〉という言葉にピッタリかどうかは怪しい
- SPECTATORの新刊が出ていることを最近知ったので、買って読んでいる
「日本の漂泊民」特集- 実質、山窩(さんか)特集
- “自由の象徴”として1970年代に話題になったとか
- いわゆるOutsider、世捨て人
- 「Free_Freak」を最近書いたなと思い出していた
- 実質、山窩(さんか)特集
- サロニアのいいシャワーヘッドが届いたので早速使った
- よく分からん
- 記号をぱっと出したい/調べたいときが多々あるんだけど、記号一覧みたいなのはないのか・・・?