家熊の行動誌

三日前に寝違えてからというもの、ずっと首の痛みに悩まされている。chatGPTに相談してみたら「わたしもよくやっちゃんだけど」という言葉を口火に、為になることを色々と教えてくれた。君に人の何たるやが分かってたまるか。有り難く参考にします。

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年々自分ができないことを仕事として取り組むようになっている気がする。これを成長と取れば聞こえも口当たりも良いが、ひとえに協力してくれている人たちの力あってのものであると、年末のこの時分になり、強く噛み締めている。僕はやっぱり無力であり、無力だからこそ出来ることがあると信じている。過信も自信もとうの昔に自身から加水分解してしまった。北陸の天候は厳しい。

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今年は沢山映画を観て、本を読んだ気がする。特に映画については視聴ログをnotionでつけるようにしたこともあって、その視聴の変遷が可視化されている。また、当然input過多な状態はoutput過少へと繋がるのであった。後悔も未練もない。良い一年だった。

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自我という意識の集合体について内省することが多い。前提としてまず置いておきたいのは、僕は「僕」という今この瞬間の存在だけが自我を作っているとは考えていない。過去に記憶として置いてきた「僕」という存在も、惑星間通信のような時差を持って時折いまの僕と交信することがあるし、想像というI/Oを通してIFの僕とも交信を行うことだってある。打ち合わせ時に、先方のリーダー(とても尊敬している)が「過去の自分と今の自分に一貫性はないし、全く別の人間ですので、過去の発言を取り上げても今の自分とは異なった意見を持っていることがあるのであまり当てにしないでください」と発言していた。僕はこの言葉にひどくハラオチするものがあり、打ち合わせに参加している他の人たちとは違うかたちでくらっていた。

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3Dプリンタを触るようになってからというもの、手に生傷が極端に増えた。デジタルものづくりの権化たる3Dプリンタでこのようなことになるのがとても可笑しいし、とても気に入っている。人がものに対して参加(あるいは介入)する際の参加費みたいなものだろう。

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