人違いの記憶

幼少の頃に住んでいた場所、通り慣れたいつもの道を、記憶の中で何度も何度も繰り返しなぞってみる。ここには銭湯があって、銭湯の迫り出した外壁の下を屈みながら歩いたなとか、公園で友達と泥だらけになって遊び、その後みんなで僕の家に入ろうとしたら母親に怒られて全員で銭湯に行ったなとか、そういうことを思い出す。googleのストリートビューでその銭湯を探す。今はもう影も形もなく、新しい家が数件、銭湯だった敷地に整列して建っている。確証が持てない。おそらくここに銭湯があったはずだ。過去の記録を辿る。2012年までしか記録がない。2012年でも銭湯はなかった。googleで調べてみても銭湯のことなど1件もヒットしなかった。だんだんと分からなくなる。自信が少しずつ失われていく。本当にあったんだろうか、と。全部は夢に見た記憶と風景で、実際には銭湯など無かったのではないのか、と。あまりにあやふやであいまいな、記憶という土台の上に、僕の基礎が建てられ僕が構成されているのだと思うと、不意に怖くなる。過去にあったはずのものを証明するということは、僕の記憶を証明することにもなり、つまり、僕の存在を証明することになる。これから生きていくうえで、こういうことがどんどん増えるということに恐怖を感じる。未来が暗闇であることに何の恐れもないが、手を繋いで歩んできたはずの過去が、少しずつ形を変え、知らないものになっていくかもしれないということの恐怖。どう立ち向かえば良いのだろうか。

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