山盛りなミートソース

当たり前の話だけれど、時間をかける料理は時間をかけられるときにしか作ることができない。そういう時にしか聴けない音楽もあるし、観ることができない映画がある。生活はぴったりと感情に寄り添う形でついてくる。

野菜を気の済むまで細かく刻んだ。刻んだ野菜を気の済むまで炒め、コンソメやトマトのホール缶と一緒に煮込んだ。何に使うわけでもないミートソースがフライパンいっぱいに出来上がった。この一人では食べきれないくらいに山盛りなミートソースこそ、心の余裕の総量だと感じる。無難にパスタでもいいけれど、ドリアを作ってみようかと考える。想定外の出来事を楽しみ、どうせならと新しいことに挑戦してみたくなるこの気持ちも、きっと心の余裕の賜物だ。

苦しいことが消えて無くなったわけではない。悲しいことが過ぎ去ってくれたわけでもない。それらは僕の両隣にどかっと胡座をかき、今もじっとこちらを見ている。まぁ待てよと僕は言う。苦しみと悲しみに、有り余った夕食をご馳走する。また遊んであげるから今日はゆっくりお休みよと、苦しみと悲しみに声をかける。この余に余ったミートソースを、誰かに分けてあげたくなる。誰か一人にでも喜んでもらえたら、明日の自分の慰めになってくれるだろうか。

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